« 無題・・2020年7月1日 | トップページ | 80になったら・・(2020年、9月1日) »

色落ち・・(2020,8月1日)

 「認知症のテストをします」「あなたの下の名前が言えますか」「エっ? そんな恥ずかしいこと言うですかぁ? 〇〇ぽこです」 つい2~3年まえまでは四六時中・・こんなことばかり考えていたものですが・・・。 脳みそがキリキリときしみます。 英語翻訳の日々・・。
 漢爺・・お休みです。

 エート・・。 スマップだかスナップだかが解散したことはどうでもいいこととして、草薙剛(この字かな)氏(もはやクンではないでしょう)が「色落ち」の人生について語っていた。 色あせ・・でなく色落ちかぁ。 どこか哲学者に見えた。 
■ 昨年秋に某大学のゼミの終学旅行に行きました。 それが先般大災害があった熊本の人吉でした。 今年になって記念文集を作るからあの夜の話を文字にしてくれ・・との依頼が。それがこれです。

【うたげの記憶】  原屋 文次

夢のような・・幻のような・・ひとときが過ぎてはや数ヶ月。 角氏・・いや、エート岩井氏から民謡に伴う「能書き」が興味津々だったので、あらためて投稿を・・との依頼が。 なにをしゃべったか全部が思い出せない自分がいますが、2~3したためて見ます。

 「ノーエ節」・・は静岡ということで牧野氏に当てた演目のつもりでした。 「♪ 富士の白雪きゃ ノーエ・・♪」ですが、実は幕末にペリーらがやってきた時、幕府が江戸近在の農民を横浜の野毛山に集め、にわかの兵隊=農兵を作るということがあって、その訓練に使われた訓練歌の農兵節が静岡に帰って「ノーエ」節となったようです。 ですから関東近隣を探ればノーエ節のいとこ・はとこの民謡が埋もれていると思います。 なを、一説には「ノー・ヘイ」が横浜のアメリカ人の「ノー」「へーイ」の発音をまねたから・・といううがった説もあるようです。

 

 「おてもやん」・・(♪おてもやぁ~ん あんたこの頃 嫁入りしたでは ないかいな♪ ) 昨今は、地元でも細身の日本舞踊の先生が単なる日本舞踊としてナヨナヨと踊っているようです。 が、自称「民族芸能掘り下げ隊」としては噴飯ものとしか写りません。 あの人吉の夜のように胸にバスタオル、腰回りに座布団 そしてお亀顔で・・そしてお面をつけるとすればバスケットボールぐらいの大きさがいいでしょう。 それは、熊本は熊襲族がなまっての県名と思いますし。・・とすると沖縄のオバアや、蝦夷・アイヌの女性などと同じく「顔が大きい」、そして骨太いというのが、大和民族が朝鮮半島から浸潤する前の日本にいた先住民族の姿であり、その再現こそ正調の踊りのはずです。 ところで歌の中で出てくる「春日ぼうぶら」・・はカボチャのこと。 現地のある保育園の園長さんが「ハラヤさん、これが春日ぼうぶらよ」と指差した物はどう見ても「へちま」の形でした。 再度「おてもやん」を上演する時は、私が「おてもやん」の娘で、どなたかに「春日ぼうぶら」を腰にくくりつけ、男の「イチモツ」踊りをお願いしての二人踊りとし、文字通り「純学際的」な再現の場とすることといたしましょう。

 

 「鹿児島小原節」・・(♪ 花は霧島 煙草は国分~♪ )・・10年ちかく前、鹿児島の国分あたりの小さな温泉宿に夫婦で一泊した時(観光旅行ではありませんでしたが・・)、地元のケーブルテレビで収穫祭みたいな時の地元婦人部の「鹿児島小原節」踊りを写していました。 その踊りはナヨナヨとは真逆の何かを打ち付けるような・・何かを放り投げるような・・何かを掘るような・・粗雑で野趣に満ちたものでした。 「掘り下げ隊」としてはしばらく息を止めて観ていました。 「これは何かある」 それから数年が経ち、高齢者にありがちな午前2時ごろのHNKで「ポリネシア系のある島の踊り」を写していました。 それは、サトウキビみたいな竹を半裸の子どもたちが対面して延々と打ち合う・・という踊りです。 その時「ハット!!」しました。 そうなんだ、鹿児島の踊りは手に竹は持っていないが、「軍事訓練」の所作踊りだったのだ。 秀吉あたりが攻めようとしても攻めることが出来なかった薩摩の地(この項は先般谷口氏に現地で聞きかせていただいた)。 おなじく関ヶ原で薩摩兵が徳川の陣地を敵中突破した史実といい。 なるほど・・証拠はそろった。 薩摩ではいつ本土のヤカラから攻められてもいいように江戸になっても、そしておそらく幕末まで、農婦たちにも竹槍で軍事訓練をさせていたのだ・・と 。 あわせて竹を打ち合う所作も本当にポリネシア方面からの伝承では・・と。 

 

 「安来節」・・は当夜は歌でなく、「どじょう掬い」の所作芸の解説=言わば「語り芸」でした。 文字通り私の地元・出雲の芸です。 昨今は、「どじょう掬いのどじょうは「土壌」で砂鉄のこと」・・という説明がようやくされるようになりました。 しかし、踊りの滑稽さのみ強調されて、そのおどろおどろしい背景まで言及する解釈はいまだ日の目をみることはありません。 

さて、山陰の地の山は岩石でなく土(砂地)が多く、山間部の山肌を人夫(おなご衆も)が小川に向かって泥を崩し落とす「かんな流し」・・という労働から始まります その土砂は遠く日本海にまで斐伊川で運ばれ、今日宍道湖と呼ばれる海が埋まって湖になってしまった、日本最初の公害とも言われます。 このあたりのことは別の機会にゆずりましょう。 

さてわたし原屋の母方の祖父は砂鉄から高純度の鉄を精製する「たたら」の村下(むらげ=工場長)を戦後しばらくまで努めていました。 その集落の人々は深い山を越え、かんな流しにいそしむのが常でした。 私が小学5年ごろ・・その一日がかりの行程に連れていってもらったことがありました。 そこで、かんな流しでは無く、その砂鉄を含んだ泥水を羊羹型の「いけす」に導き入れるのですが、それをすこしずつ撹拌する作業をさせてくれました。 2段になっている「いけす」に立って、第一段目は重い(純度の高い)砂鉄が溜まっていき、2段目はやや軽い砂鉄が溜まるんだな・・と子ども心に思いました。 そこで2段目の「いけす」の下は草に覆われた小川でしたが、そこにも溜まり切らなかった砂鉄が流れていることは用意に想像されることでした。 幼いながらも暫くその場に立ちすく少年がいました。

 それから十数年後、東洋大学での日本史のテストで、自由題のレポートの提出という機会があり、この辺りのことをまとめて考えることができました。 

 (文が藪の中に入り込み戻れなくなりそうですので、以下はメモ程度にさせてください。)

  • 当時は島根の場合、権力(松江藩=徳川の外様でなく譜代)と強固に癒着した田部

 

・桜井・絲原・・の3家が砂鉄産業の一切を独占していました。

  • そこで民間人が砂鉄に手を染める(昨今で言う闇営業)ことは死罪に直結していました。
  • しかし、農作業が出来ない雨の日などに農民が「ほおかむり」をして(顔が解らないようにして)辺りを伺いながら(キョトキョトしながら)籠を持って小川に出かける。
  • そして雨に打たれながら正規の「いけす」からこぼれ出た砂鉄(第三等以下の)をややみにくい顔つきで急いで採集する。 ときには近所の知り合いとも同じ企みで鉢合わせもあったことでしょう。
  • そのやや粗悪な砂鉄を、砂鉄産業の独占の「旦那さん」の裏口に背を丸めて行き、下っ端の小番頭への慇懃すぎる愛想の後、僅かな・僅かな現金を受け取って、ようやくやや晴れやかな顔つきで家路に・・。(ちなみに、背中を曲げておどる所作も砂鉄の砂袋を背に背負う・・というところから来ている気がします。)
  • さて集落の祭りや祝い事の時、行儀良く歌としての「安来節」を唄っていた座も、やがて粗悪な日本酒が身体にしみてグデングデンに。ここからいよいよ禁断の舞が始まるのです。
  • そのころには台所の用事も一段落した女衆も座に参画しており、やおら「ほおかむり」したオヤジが隣のふすまから辺りを伺いながら登場。
  • そして適当な所作の後、どじょうがどこかに逃げたという呈で、近所のおばさん(どういう訳かいつも股の太いおばさん)の膝の奥辺りを探そうとする。
  • するとそのおばさんは、頓狂な大声を上げそのオヤジを思いっきり引っぱたく、するとオヤジはそのまた隣のおばさんに・・と座は熱狂のるつぼに。 こども達はどんな顔で眺めていたかは記憶に無いけど・・(そう・・子どもたちは半笑いをし、心のどこかでほんの少し悲しい感情も持ち・・だったと思います)。
  • 奥出雲の屈折した人情は、日ごろ誰もやっていているが誰も口には出来ない(闇での砂鉄取り)を理性がほとんど消失したその時に共有すること以上に日頃の鬱憤をはらす場があるだろうか。 
  • 島根の西部は広島県人のような開放的な気質ですが、出雲部・・とりわけ奥出雲地域はそうした「自分を表現しないのが徳」とされる風土。
  • そしてそれが闇でなく「罪」となった場合に「鼻そぎ」の刑が待っていることも、皆を一体化する要素でもあったと思えます。
  • [段落・・なお、かんな流しからあふれた砂鉄にまだ商品価値があったことは、奥出雲の大地には砂鉄に「モリブデン=元素番号42」が含まれており、そのことが他の地域ではまねのできない、きわめて高純度の要因となっていたことと関連もあるかと思います。 (この項も別の機会に)]
  • 〔 追記・・よく演芸として鼻を、五円玉を両耳から紐でくくりつけて・・という様を目にしますが、郷土の「どじょう掬い」は「出し物」ではなく酒の場での「心の闇に挑む狂乱の共有の場」だったわけですから、5円玉・・などは観たことがありませんでした。 合掌! 〕

 

 

|

« 無題・・2020年7月1日 | トップページ | 80になったら・・(2020年、9月1日) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 無題・・2020年7月1日 | トップページ | 80になったら・・(2020年、9月1日) »