« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2015年11月

海棠(かいどう)の花・・(2010・12月1日)

151121_081054  花は愛でるが名前にはとんちゃくしない・・とカラいばりのじいではありますが・・。
教科書にでてくるほどの文豪の句に「海棠の~~」とある。 さすがに、はだしで逃げ出したいほどの句。
そこで知識欲として別腹のムラムラが↑。

ネットで探ると・・ なるほど春先に観ることがある花ですね。 うーーん。
ところでウチのカミさまは御存知で、我が家にもあるがね~・・とのたまいし~かな。

151125_210212 先日、日本の近代の戦争についての見分を広める集いがあり二人で行ってきました。
戦争は是か非か・・ということからでなく、日本人の生活の現場の戦争の実感みたいな視点でした。
これは「軍隊杯」というもの(ネットより)。
除隊になった時などに庶民が特注で作り配ったという風習が広く一般にあったとのこと。 うーーん。。。
なんと感じていいか・・。 「いつまでも戦後でありたい」というタイトルでの講演でした。 館長さんは知っているかたで、真面目すぎるほどの方。
(しかし、大きい声では言えないが・・ずいぶん・・いい仕事してますね。 陶器のこと。 外人がみたら・・震えがくるほどの出来ですね。)

このところざわついていましたが、ブログを定期の1日と15日に戻します。(まあ、例外はありで)151129_154759_5
図書館からの帰路。 夕暮れの普門院。 堀をめぐる観光船によその子が手を振って.

《久しぶりの駄洒落の時間です》・・@しょうがが無いのぉ? しょうがないねぇー。 @うちのオカンが悪寒でふるえちょるよ。 @武道家のくせに一人でブドウを全部食べた。 @魔女の脱臼便。 @婚約記念に今夜コンニャクを食べます。 @仏さんのことはホットけ (Yさまの出版書籍より・・ご本人については、近いうちに詳しく紹介することもあるかと思います。)
《ここんとこのハラヤノート》・・Yさまの書籍を読んで・・@なんと休肝日をつくりました。 @そして週一回、水曜の朝食の断食を決行しました。・・・ほんとどうしたことでしょう。 ビフォア―・アフター?

追伸・・1300本近くのこのブログを過去にさかのぼっての修正作業・・内容でなく誤字とか・・今300本程度終了です。 なかなかな作業です。 それでもブログの精度というか熟練度というか、過去とくらべて多少の進歩を感じます。 

| | コメント (0)

桜島・・(2015・11月21日)

151116_121846 宮崎での斎藤メソッドの交流が終わり、鹿児島に足をのばしました。
というか、岡山から鹿児島中央駅に行き、そこから宮崎というコースでした(それが一番時間が短縮できた・・)ので、足をのばすというより帰り道の寄り道という感じです。

午前の3時間しかないので、桜島を選択しました。
私は地理屋なので内心ホクホク。 カミさんが気が変わらないように~~~でしたが、カミさんが思いのほか感動していた風でした。

この船が15分置きに航行、そして15分で着きます。151116_110052
着いた船着き場がこてこての昭和の感じ(昭和30年ごろ)でとてもよかったです。
それでアメちゃんを買ったひなーびた店のおばさんが「なんとか券を500円で買ってこの島(まあ厳密には島ではないですが・・)で買い物をすると1000円分買えますよ・・」と。
うちのおばさんが2枚(1000円)買って、2000円相当の桜島大根飴とか・・を買いました。
それより、この券のデザインがいいな・・・と。

151116_144031 午後の新幹線の駅。 こんどはこの感じの壁の桜島。
結局、山の上3分の2は地球むきだしでした。
隠岐の島が世界ジオパークなのに、桜島が日本ジオパークに甘んじているのは・・と思ってしまうほどの地球のはらわたがはみ出ているのでありました。

松江に帰ってみると、宮崎で出会った関東方面の男性の方からハラヤ宅にメソッドを学びに来たい・・とのメールが。 さて寒さがひたひたと・・の季節に突入しつつありますね。

| | コメント (0)

宮崎にて・・(2015・11月18日)

3日ほど宮崎に行っておりました。 宮崎市の吉野保育園というところで斎藤メソッドの講座があり、そこでアルゼンチンの報告を・・との依頼があったのです。151118_064639

写真は園のホームページのものです。 たしか30年近く前、故・斎藤公子先生も設置場所やホールの作り方にアドバイスをされたはず・・との記憶があります。
宮崎市内から15キロもの山肌にそくした場所。 園の職員さんの対応やあしらいも含め、斎藤公子がいまだ生きている・・という感を強くしました。
すばらしい。

 2枚目のはこの園の園児の絵の説明を職員の方がされているところです。
私が現役だったころ・・「ハラヤのところの園児はリズムがあんな
151115_090439_2にすばらしいのに・・絵が固いのはどうしてかね・・」と斎藤先生に言われたトラウマがいまだに解決していないので、私にとってはまぶしい光景です。
担当の保母さんが交代で懸命に発言されている様がとても好ましく、この園の世代交代が順調に推移していくだろうな・・とも感じました。

 さて、肝心の私(とカミさん)のパワーポイントを使ってのアルゼンチンの活動報告(アルゼンチンでいかに斎藤メソッドがしみていったか・・)の報告は、かなり低調な場面となってしいました。

151115_150327 2日間の日程が終わり、こころもち・・逃げるように駅に。

電車を待つ間・・カミさんが地元のオバサンと何やら遠方で話し込んでいる。 その時、研修後の食事はちゃんといただいたのに、弁当も用意してあって、立派な弁当2つをかかえて駅で露頭に迷う感じもあったのですが・・「そうだ・・あのおばちゃんに・・」とひらめいて、差し上げました。    
するとそのオバちゃんがウチのオバちゃんにお返しの何やらを買ってお礼に見えたとです(・・あれ、宮崎弁ってあったのかなぁ)。 ともかくやっといつものフーフー(夫婦)に戻れました。

吉野保育園の関係者のみなさま、ありがとうございました。 そして申し訳ありませんでした。

| | コメント (0)

食べれる・・秋の実・・臨時UP・・(2015・11月11日)

151104_161406 このまま九州・・のつもりでしたが、写真がたまりぎみなので臨時のUPです。

これは、ガマズミと標準語で言うと思いますが、方言が思いだせない・・。 すっぱくて甘い秋の実です。

家から200Mのところに。 何年振りに食う(喰らう)人間がこの木にさばりついて・・赤い実もやや緊張ぎみか・・。

151106_131214 次のは黒い実になんと「 桜のマーク 」がてっぺんについているのです。
名前・・は気にしたことは、生まれてこのかた無いです。(もう何回も書きましたね。・・食べれるかどうかだけが・・ですので。)
ネットで少しさぐりましたが不明です。 しぶい味で上質な味です。

こちらは大山の麓にて。。両方とも5ミリ~7ミリぐらいの小粒ちゃんです。151107_125816

これは出雲市の蔵のカフェ屋さんです。

また詳しいことを書くこともあるかと思います。

下の店は松江の北殿町です。151105_113157

これがなかなかいいです。 また書きましょう。

では九州へ行ってきます。

| | コメント (0)

「えげつない」はなし・・(2015・11月4日)

151030_160146 今月の中旬になにかと大きな予定があるため、前倒しのUPです。 そのため次のUPは今月20日ごろかと思います。

蕎麦の畑です。もちろん花も実も取り払われた役目を終えた畑。
「おそばのくきは なぜ あかい」という児童本があります。 絵が初山滋(しげる)によるすばらしいものです。
[ここんとこのハラヤノート]・・*隣りに蔵が立てば、腹が立つ 

「えげつない」という言葉も最近は褒め言葉に傾斜しつつありますね。 例えば(ダルビッシュ投手の球が「えげつない」・・とか)・・そ151031_164929んな話です。
*「ハロウィン」のえげつない盛り上がり・・ブンジイも仮装をしたーい!!。 これはイチ・ニイ・サンの二―まごちゃん。 来年こそは!!
* 近くの国立大学の生徒を見るとフット涙が! マゴたちのこうした姿が見れなかったらどんなに悲しいかと。。。さめざめと・・エゲツナイ気持ちに。(これは褒め言葉でもないか・・)  *ラグビーのワールドカップ・・日本の対南アフリカ戦の最後の3分のエゲツナイこと!!おかげで世界中にラグビーのフアンが増えたとか。・・4年後の日本での大会は生で見たいものです。
((アノーォーーゥ。。ブンジイは「スポーツひょろ~ん家」ですので、35歳の時、斎藤公子氏のもとでの修行中の時・・となりの熊谷市の熊谷工業高校のラグビーの練習を観にいったことがありますよ。一人で))

(だじゃれの時間です)・・@エコに取り組む子はエーコ。 @総理大臣がソーリー・ソーリーとあやまった。 @教育委員会に今日いくんかいな(採取地・隠岐の島町にて)。

□□ところで、こうしたダジャレ・・。 「スタバは無いけど砂場はあります」の、となりの鳥取県の県知事は毎日のように151101_115224 ダジャレをかます。 いいぞぉ↑、、もっとガンバレ。
□ ところで斎藤公子氏の文献に『~~~、おきまどわせる 白菊のはな 』・・という万葉集の話がある。 家族で百人一首をよくやった、その中でこども心に一番好きだった句とのこと。 この『おき』は(沖)と(隠岐)がかけてあり、『菊』は天皇にかかわる(菊)と(聴く)がかけてあると思われます。

つまーーーり、ダジャレのルーツは万葉集や百人一首にあーーるのでありま↑ーーーす。  もっとやろう!! えーと、この写真、普門院の後ろの区域になります。 水郷を示す場所で好きな場所です。
・・・さて・・・・・隠岐騒動・・・です。

『 隠岐騒動と斎藤公子 』(その7・・終章)

□ さてこの連載の最後として、現在の隠岐の島の隠岐騒動にかかわる動きを見てみたいと思います。 まず近年、松本健一氏(麗澤大学教授)を中心に「隠岐学セミナー」なる取り組みが10年以上にわたって精力的に開催されてきました。 そして現在、その精神を受け継ぐべく「隠岐共和国」をスローガンにした動きもあり注目していきたいところです。 そしてここへ来て、多くの人士による新たな隠岐騒動にかかわる出版も続いています。

□ また、これらの動きの中で、隠岐騒動の精神的主柱であった中沼了三が維新前後、天皇の命により開校した奈良県十津川の「文武館」を前身とする奈良県立十津川高校が近年、修学旅行で隠岐を選び交流と学びをされています。
□ 当会が行うツアーでは、過去の歴史をさぐるだけでなく、隠岐騒動を現在そして未来へ伝えていこうとされている現地の方との交流も視野に入れるべく準備にはいっています。

□ 終わり近くにあたって、筆者の人生の師である故・斎藤公子氏について誌面をかりることをお許しください。 斎藤公子氏は日本の昭和の保育史を語るうえで、はずすことの出来ない巨星です。 筆者は氏の保育園で35歳から2年間修業し、その後30年間、亡くなられる直前まで学び続けました。 その際、氏はかならず「隠岐出身」ということを語っていました。 その家が、隠岐騒動のリーダーの一人であったことだけでなく、その出自は、遠く平安時代までさかのぼり、そしてその家系の中心的な家訓が「学問で身を立てる」ということ・・などを筆者によく語ってくれました。 

 そのため終生「隠岐の生まれ」を自認し、先にあげた中沼郁氏との共著もものにされたわけです。

 ときには命にかかわっても真理のために生きた氏の生涯は、そのまま隠岐騒動の精神をも受け継いだものと思います。

     最後に小泉八雲の隠岐旅行について書き添えます。 御存じのようにハーンは松江から熊本に行きますが、その時期にわざわざ隠岐に2度も夫婦での旅行を企てています。 現在と違い一回の旅行が2週間もかけたものでした。 そしてハーンは隠岐に非常に特別なものを感じ、文章もものにしています。 そして日本に家をたてる(永住する)なら隠岐に建てたいと本気で公言するほどとなります。 将来、機会があればそうした文献も紹介できればとも思います。 

     さて島民による自治コミューンが、反革命の暴力により幻に終わったかにも見える隠岐騒動。 しかし隠岐騒動に限らず、人民による歴史を前に進めようとする勇気ある行動は、多くの場合無駄に終わったかに一瞬みえます。 しかしその行動が無かったとするならば、歴史は一気に奴隷的な社会に引き戻されることでしょう。 隠岐騒動に示された「権力にこびず」、「自主独立の気概をもち」、「他者へのやさしさ、いたわりの精神を保つ」などの気風を、私たちの日々の行動に生かしたいものです。 

□ 来年の4月のツアーが、今から10年前、3000名の島民が決起した時にふいていたであろう風を感じることのできる場となることを期待し、この連載を終えます。 (了)

| | コメント (2)

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »