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2015年8月

ナンにナンなし・・・(2015・9月1日)

150711_085433 あれれ。。。セミが脱皮した直後のきれいな緑色の羽の写真が?。。UPする予定だったのに・・削除してしまったかな。。

「二まごちゃん」がこの夏、猛烈に虫にこっていて、ジイもなんとかいいところを見せなければ・・と。ついにはジイの夢に70センチはあろうかというほどのカブトムシが出てきたり。

そしてセミも30回ぐらいトライしたが一回も捕れない。(あの・・二マゴちゃんの前ではないですよ。自分一人の時。) 分析と言い訳をすると、最後の手を握る瞬間があまくなっているんだわ。。「廊下だわ」。写真は「離れという名の車」に飛び込んだトンボです。

 これはインド料理店のナンです。器からはみ出るレベルでなく、テーブルを覆っています。 店の方は全員印度人、いやネパールか。。150806_115741

店の名前は、エート。。【 アガン 】。場所は説明しづらいので調べてください。 これで1000円ぐらい。 食べきれませんから2人がかりでちょうどいい。 店の外人さんに頼めばOKと思いますよ。

ただ、あまりに現地感が強いので、テーブルにナンがくっつくのがナンありの人も。。それとトイレは汚くはないですが、現地風だから異常に綺麗ではないですので、事前にトイレを済ましてどうぞ。。ともかく美味しい↑です。

150818_133513 湖北の四葉園さんでエート。。ほら。。あたまが動く「なんとか人形」を作っておられます。

2~3年前、某所で「おろち」のを買いました。その時、『 どじょうすくいのバージョンもあるといいですね 』と助言というか一言多いというか。。 で先日、所用で園を訪ねる機会が。 すると、ありゃ。。、あるよ。。作ったのね。。  でも、そこで終わるジイではなーーーい!! 担当の方に面会しました。
「覚えていますよ。それでこれを作りました」と。。でも、【 やっぱ、ほら。。どじょうすくいの命は腰がひょこひょこ動くところだから、もう一工夫して、首だけでなく腰も動くように、もうひとガンバリを 】と。「なんとか検討してみます」と。 まあDNA的に嫌いじゃないから、ついついね。
150824_191134 さて9月21日にアルゼンチンから「オマール」さんが今年もやってきます。
今年の八雲演劇祭に唯一外国から招かれました。
今年はハラヤ宅でのホームステイはありませんが、聞くところによるとオマールさん側から「セニョール・ハラヤとミチコに合うように手配お願いします」と主催のほうに連絡がすでに来ているとのこと。
昨年のような大規模ではありませんので、車は「しいのみシアター」に直接でOKとのことです。

●私が史談会に投稿した隠岐騒動の文章を掲載してみます。(でもうまく張り付くかなぁ)

『 隠岐「騒動』への歴史深訪ツアーによせて 』 (その1)

幕末から明治に歴史が転換するとき隠岐の島において、数か月間でしたが『コミューン』ともいえる自治政治が行われた歴史があります。 史談会の松江支部で今ツアーの準備中です。 今回を含め隠岐「騒動」について概観を報告してみたいと思います。 これは今年の4月に松江支部で行った「隠岐騒動深訪ツアー・事前学習会」をベースとさせていただいています。もとより文責は私にあり、合わせて拙文のほどもお許しください。

その(1)文武館設置嘆願をめぐって

□はじめに・・まず近世の隠岐の国は建前上は徳川幕府の「天領」であったが、おおむね松江藩松平氏への「大名預かり地」であった。そのため松江藩から派遣される郡代・代官らにより統治されていた。しかし実際には現地の村々の庄屋等が行政の実態をまかなっており、徳川幕府が滅んでいく動乱の中で1868年の一定の期間、庄屋や神官らが指導し主として道後の3000名を超す民衆の決起により、松江藩の代官らを無血によって追い払い、自治的権力を数か月間にわたって打ち立てたというものです。

□隠岐騒動という呼称について・・「隠岐コミューン」とか「隠岐国維新」とかさまざまな呼称が与えられていますが、もっとも一般に使用されている「隠岐騒動」ということで文章をつづります。また「」でくくることも省略いたします。

     隠岐の国(島)が孤島であることから「異国船」の軍艦が1848年ごろから頻繁に表れるようになります。 この孤島であることは「島のことは松江藩にまかせていては埒が開かない・・自分たちで守らなければ」という土壌を強くしていたと思われます。

     1853年にベリーの浦賀来航をうけ、松江藩は1863年に本土(藩)から100名を隠岐の島に「農兵隊」という名で派遣します。しかし4年後には一方的に本土に引き上げてしまいます。

     そこで1867年(慶応3年)、道後30か村73名の連署で『文武館』の設置の嘆願行動を起こします。 これに対し松江藩から派遣されている郡代等は言語道断の一点張りの対応に終始します。 万策つきた同志たちは、京都にいる中沼了三をたずね相談します。

     ここででてくる中村了三を抜きにして隠岐騒動は語れません。 中村了三は道後の中村(現在の隠岐の島町の最も北に位置する)の生まれ、代々医師の家系で、父親もふくめ京都の鈴木遺音(いおん)にまなび頭角を示します。 明治天皇の父に認められ京都で重きをなします。また徳川幕府の崩壊に対し、十津川(奈良県の南部の山中の地域)に天皇の意をうけ「文武館」を開設します。 先に述べた隠岐島での「文武館」設置の願いはこの十津川に習ってのことと思われます。

     以後、同年の大政奉還(1867年10月)をうけ翌年の3月にいよいよ島民3000名の決起と繋がっていきますが。(以下次号へ)

□ 具体的な隠岐騒動の深訪ツアーの予定ですが、来年(平成28年)4月の後半あたりを予定すべく準備・調査を進めています。 

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「漫画でみる・・」送付 (2015・8月15日)

150808_114527 なんか・・寝た子を・・みたいなちょっと嬉しい話です。東京の方から「漫画で見る斎藤公子氏の保育リズム」・・を50冊送ってほしい・・との突然の連絡が。

2年前にNGOのハポンを解散してから、ハラヤ個人の手元用に個人で印刷して、残ったのが60冊ぐらいありましたので送りました。 もう一年もしたら資源になっていたかもしれなかった。。

久しぶりに斎藤先生を思い出した・・と書くと思うでしょうが、、、どっこい、先生は毎日私の背後に。。「隠岐騒動」・・先生の「監視」がなければこれほどまでは労力はつぎ込んでいないと思います。

150722_140024 週に4回程度は図書館通い。 そこで「隠岐騒動」の文献や資料の読み下し。。。そして他にも○○系の本を。。

この○○系の分野はまったく筋肉がついていないから最初の数ページにホント骨がおれます。

本の表紙はわざと写らないようにして。。 まったく、50年遅いわけで。。恥ずかしい。。

150802_090920 図書館へは自転車で。 この暑さの中の片道3・5キロ。 少し漕いで影を選んで2~3分休憩。 これって「むささび走法」と言うんです(ジブンで。。)。ここは明々庵の切通し。(7~8年前の冬場、反対側から撮ったことが・・)。 この左手の石垣の微妙なくぼみに、少し腰を拠り掛けて立ったままの束の間の。。。。

(至福の福祉・・『分散』について・・) 先日TVで、膝や腰が痛くならないより健康的な「分散ウオーキング」というのをやっていました。 体の専門家としてウオーキングをやっている人からは健康のオーラを感じないブンジさんとしては(ですのでもともとウオーキングはお薦めでないですが・・)30分のウオーキングは今すぐ止めて、10分間を日に3回・・でより健康的に・・がお勧めです。

150805_095741 さて、ひょんなことから我が家に、生後10日ぐらいの猫が住み始めました(今のところ・・)。 私もツレアイ様も猫は×なのですが。。

で久しぶりのリラックス(カフェ屋)で、気が付いたらこの手の雑誌を手にしていました。

座敷犬のモモちゃん(15歳)はすっかりショゲテいます。 成り行きやいかに。。

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